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田舎時代に憧れた東京の街並みと実際の街並みのギャップ

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東京圏の中で、地方からの流入者は全体のおよそ3割という。

私ももれなくそのうちの一人だ。

東北地方の片田舎で高校卒業までの18年を過ごした。

当時の筆者は片田舎での無味乾燥な生活の中で、「大都会」での生活に狂おしいほど恋焦がれていた。

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田舎での生活に退屈した18年間

18年間で片田舎の酸いも甘いも(?)十分に体感した。

遊ぶところといえば、自転車か一時間に一本のバスで行くことのできる小さなショッピングセンターだ。

いつも同じプリクラ機、いつも同じ洋服屋、いつも同じ本屋、いつも同じドーナツショップ。

日に日に募るのは、全国ニュースやバラエティー番組のロケで時折映る「大都会東京」のキラキラした街並みに抱く憧れであった。

コンクリートジャングルの中をうごめく大量の人々、あるいは整備された銀杏並木とそこに佇むテラス付きの大層おしゃれなカフェ。

夜が更けても変わらず明るいネオンが輝く情景。

実家の周囲では見たことも聞いたこともない名前のスイーツ。

いずれも地元にはないものだ。

聞けば、大都会東京は埋め立て地が多く区画整備された街が多いのだそう。

東京の象徴である「23区」、どれだけ素敵な街なのだろう。

18年間を過ごした「市」とは全然違うんだろうな。

そんな期待を胸に上京した10年前のワクワク感は未だ鮮明に覚えている。

「田舎者だと思われるから上ばかり見て歩くんじゃないよ」

「現金を持ち歩くときは少しにしなさい、そして小分けにしてね」

そんな母の小言が右から左に流れるほどには浮かれていた。

TOKYOデビュー

上京後は親戚の家と大学の両方に近かったという理由で、日野市内に住まいを借りた。

痛烈に憧れていた「区」ではなく慣れ親しんだ「市」に住むということは少しだけ残念な思いがあったが、某物件検索サイトを見て都市部の物価の高さをすぐ知ることになる。

学業とアルバイトに勤しむ間を見つけては「大都会」探しに色々なところにでかけた。

とりわけ京王線や小田急線のアクセスが良かったため、新宿は本当に毎週のように足繫く通ったものだ。

何をするわけでもないが、駅直結の商業施設や駅前にひしめく高層ビル、列をなす飲食店を見るだけでも実に楽しい。

西新宿にある「超高層ビル群」という街区表示を見たときは、それはもうテンションが上がった。

憧れていた大都会探検

他にはお台場、丸の内。

都市整備されたばかりの街はタワーマンションや商業ビルがひしめき合い、どこを切り取っても直線的。

洗練された印象で大変美しく、地元で砂利道を歩いていた筆者にとっては良い意味で衝撃を受けた。

原宿や表参道もよく通った。

田舎者が想像する理想の都会そのままであった。

並木沿いのテラス付きのオープンカフェと闊歩するカラフルでオシャレな若者。

こんな風景は初見だった。

池袋や渋谷も友人と合流するのに良く訪れた。

渋谷は代官山、あるいは原宿方面に抜ける道は見たことのない雑貨屋や古着屋が多く、まさに都市部でしか見ない洒落た個人経営の店が多くて驚いた。

片田舎時代は某チェーン衣料店でしか洋服を購入したことがなかったので、こんな狭い売り場に所狭しと並べられた商品は新鮮であった。

東京スカイツリーや新宿都庁の上から素晴らしい夜景を眺めることも度々あった。

今まで知っていた夜空に比べていつまでも空が明るい現象に大変疑問を抱きつつも、上から見下ろす大都会のネオンは目頭が熱くなるほど感銘を受けた。

自分の人生が動き始めたのを実感させる光景だった。

下町との出会い

今思えば、お世辞にも23区内を知り尽くしたとは到底言えないお散歩であるが、当時は23区とはどこもきれいで先進的な街並みなのだとすっかり思っていた。

東京都内、とりわけ23区の物価の高さも若輩者ながら少しずつ理解し始め、区内に居住している人は皆特別なお金持ちなんだろうと漠然とした勝手なイメージを抱いていた。

そんな中、とある夕方の情報番組で「昔ながらの東京・下町」と銘打ち、古びた食堂や商店を取り上げている特集を目にする。

テレビの中に映っていたのは、当時イメージする大都会とはかけ離れた、入口も内装も全て時間経過と共にオレンジ味を帯びた昔ながらの町中華屋さん、あるいは威勢の良い呼び声に包まれた活気のある商店街、少し古びた一軒家の軒先に水をまく割烹着を着た高齢の女性。

坂の上の階段から見下ろす風景は、夕焼けと電線、そしてレトロな建物が融合する景色で、しつこいほど体感してきた片田舎の静けさとはまた違った落ち着きを見せていた。

なんと、これを昔ながらの東京と言うのか。

初めて見る「大都会」の一部分に少し驚いた。

年季の入った一軒家や食堂はまるで地元で見た景色そのままであった。

親戚や東京出身の友人に話を聞くと、昔から住んでる人が多い地域はそうなのだと。

本来の東京はこうなんだよ、と。

なるほど、私がずっと憧れてきた大都会東京も一枚岩ではないのだと痛感した。

ここでようやく、片田舎時代から地道に構築されてきた己の東京観が恥ずかしいほどに偏っていたという事実に気付くのであった。

新たな東京探検へ

そこからは、少し東京探検の範囲を広げてみることにした。

柴又、谷根千、浅草、赤羽、三軒茶屋、巣鴨、清澄白河、水天宮など……。

友人や知り合いとの縁もあり、様々な町を歩いたものだ。

タワーマンションでもデザイナーズ物件でもない、変哲のない馴染みのある一軒家がひしめく住宅街。

小さな神社とその裏にあるおしゃれなパン屋。

夕方になると地域住民が集まるお惣菜屋さん。

夜道にゆらめく赤ちょうちん。

レトロな商店街と、その道端で立ち話をしているマダム達。

風に揺らめく銭湯ののれん。

路地裏に並び立つ、無秩序にポスターが貼られた電柱。

夕焼けに染まる小さな公園と坂道。

当然ながら思い描いていた大都会とは異なるが、そこには確かに人々の暮らしがあった。

田舎者の想像の中にいた「お金持ちの都会人」ばかりではないが、自分となんら変わりない等身大の住民たちがコミュニティを築き上げ、生活を営んでいた。

「なんだ、東京ってどこも気張って闊歩しなきゃいけない街ばかりじゃないんだ」な、と思えた瞬間だった。

今までは見上げて、追いかけて、手を伸ばしていた遥か大きな存在の「東京」を少しだけ身近に感じられるようになった気がした。

そして今

大学を卒業して就職し、紆余曲折あってようやく23区内に居住することができた。

きらびやかな都市部に今だ憧れはあるものの、なんだかんだで私の23区デビューは下町となった。

仕事や休日に繁華街に出かけて、疲れて帰ってくると静かな住宅街と野良猫が出迎えてくれる。

周囲には安い商店や居酒屋も充実している。

飲食店も何度か通えば顔を覚えて、気軽に声をかけてもらえることも多い。

一本路地を入ると、表通りの雰囲気とは打って変わった今どきな新しい店が発見できたりするのも面白いものだ。

行きつけのサロンでは、担当の方も近所に住んでいる人のため、地元に新しくできたショップの口コミであっという間に時間が過ぎる。

出勤時、駅に向かうときにはいつも同じ小学生のグループとすれ違う。

こっそり心の中で「行ってらっしゃい」と唱えるのが毎朝のルーティンだ。

このくらいで今はちょうどいい。

東京暮らしも10年を越えたが、未だに飽きさせない素晴らしい都市だ。

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