大学進学で佐賀から上京した私。
東京のことについて右も左も分からず、どんな街があるのかほとんど知りませんでした。
そんな私が唯一知っていた街が「原宿」です。
上京したての私にとって、原宿は「居場所」であり、「元から知っている友人」のような存在でした。
雑誌の世界で見つけた原宿

中学時代からファッションが好きでファッション誌をすみずみまで読んでいました。
中でも好きだったのが、当時に流行っていた「古着系」と呼ばれる、ファッションの中に古着を取り入れたスタイル。
日本にはない色使いや柄の古着に身を包んだ、原宿のストリートスナップは佐賀の田舎に住んでいた私にとって、刺激的であこがれの対象でした。
カラフルなファッションの聖地 原宿との出会い

上京してすぐに、自由な時間ができると、真っ先に原宿へ行きました。
JR原宿駅のホームに降り立ち、「竹下口」と書かれた案内板を見て心が躍りました。
ワクワクする気持ちを抑えつつ、思っていたよりこぢんまりとした通路を歩いて行き、改札を出るとすぐ目に入ったのは、カラフルでにぎやかな竹下通り。
まるで雑誌の世界から飛び出してきたような光景が広がっていました。
竹下通りの中に入ると雑誌で見たことのあるお店が並び、心ひかれるものばかり。
あっという間に時間が過ぎて行きました。
それからというもの、「時間があればとりあえず原宿」といった具合で、何度も足を運びました。
用がなくても原宿に行けばなんだか落ち着くのです。
いま思えば、原宿の街は私にとって精神安定剤のような存在でした。
原宿でのお決まりコース

何度も通っているうちにお決まりのコースができていきました。
まずは竹下通りで、古着屋や雑貨店に寄って反対側の出口まで歩く。
その後FOREVER21やH&Mに寄り、ラフォーレ原宿へ。
友人と行く時にはケバブ屋さんや、ロッテリア原宿表参道店で食事。
少し離れた場所にあった古着屋のHANJIRO原宿店にもよく行きました。
学生なのであまり持ち合わせていませんでしたが、原宿という場所を気ままに楽しく過ごしていました。
東京での「居場所」となり、「友人」となってくれた原宿

私はなぜ明確な目的がなくても原宿に行っていたのでしょう。
振り返ってみれば、それは上京したてで不安な時。
右も左も分からない一人暮らし。
「頑張らなきゃ」と気を張って背伸びすることもありました。
そんな中で、唯一知っていた街が原宿。
カラフルでにぎやかな雰囲気の中にいることで、不思議と心が落ち着いていました。
原宿に行けばただひたすら自分の好きなものに囲まれるので、等身大の自分に戻れていたのかもしれません。
そして原宿は、中学の頃からの友人のような街でした。
自分と趣味が合い、いつ会っても元気な友人。
そんな友人に会うような感覚だったから、原宿へ行くと安心できていたのかもしれません。
年月を経て、趣味が変わり、友人ができて、新しいコミュニティもでき、自分の居場所ができていきました。
だからでしょうか。
原宿にはだんだんと行かなくなりました。
あの頃仲良くしてくれた原宿は、元気にしているかな。
「原宿」という友人に、久しぶりにまた会いに行こうと思います。
コメント