田舎育ちの子は、高校卒業後は
- 県内の都心部に行くか
- 県外の学校へ進学するか
という選択が当たり前だと思っていた。
(あくまで、私の中の考えである。)
だから、私は4月から東京へ上京する。
あのきらびやかな東京に憧れ、実家を離れるのは寂しいけれど、新たな生活の始まりに期待して。
能登半島地震

田舎暮らしも一週間を切った頃、残りの実家生活を満喫しようと思い、家族で友人の働く店にサプライズで訪問する予定だった。
朝9時前、パッと目を開けた直後 。
ドシーン!!
グラグラグラ~!!!!
「なに?!なに?!何事~!!!」
目を開けた瞬間、今だかつてない地震に見舞われたのだ。
幸い家の中はぐちゃぐちゃに倒れたけど、家族もケガなく、家自体も崩れることなく済んだ。
もちろん友人の職場訪問も中止。
日々の余震を恐れながら、夜も眠れない生活が続いた。
やり残したたった一つの課題

ちょうどその頃、自動車の教習所に通っていた私。
最終試験も間近だった頃もあり、「この状況で試験はあるのかな?」と疑問に思い、中止の連絡を待っていたが、中止になることなく本番を迎えた。
「普通にあるんかい!!」と内心思いながら寝不足で挑んだ実技。
普段、滅多に見かけない白バイが″歩行者が渡るから止まれ″という合図をしたのに、気づかず運転したことで結果は失格。
地震に備え白バイが安全のため出動していたのだと思うが
- 「なぜあのタイミングで白バイがいるんだ。普段いないじゃないか」
- 「なぜあのタイミングで歩行者が・・・」
と変えられない現実にしばらく悔やみ続けていたのを覚えている。
そして、合格しないままの中途半端ななんとも言えないモヤモヤ感が残ったのであった。
状況も考え方も変わった私

地震が起こると思ってなかった頃は
- 「東京上京したら、まずどこにいこうかなぁ」
- 「日用品も買いそろえて、荷解きも頑張らないと♪」
- 「残りの数日はとにかく実家でのんびり過ごそう」
などなど、能天気なことしか考えてなかった。
けど、地震後、自動車教習所失格後は
- 「家族残して上京できるの?私がいない間何かあったら、どうしよう」
- 「離れるなんて嫌だ」
- 「次の再試験いつ受けよう。というか、受かるのだろうか・・・」
など、心配事ばかりを考える日々だった。
慌ただしかったけど結果オーライ

上京する時には、母も来てくれた。
寮の寮母さんへの挨拶もすませ、一緒に日用品の買い出しもバタバタと済ませた。
次の日にはもう入学式があったため、特に観光することなく、母とホテルでひっそりと過ごした。
今考えると上京した次の日が学校の入学式だったのかと思うと、なかなか詰め込んだ上京計画だったと我ながら思う。
だけど、もし早く上京していたら地震当日、家族と傍にいれない寂しさと不安で、もっとホームシックにかかっていたかもしれない。
上京を後悔していたかもしれない。
ギリギリまで上京しなかったのは、たまたまとは言え結果よかったと思う。
ただ、東京のきらびやかな雰囲気を味わいたいという余裕な気持ちが全く持てず、バタバタな新生活スタートは今も私の苦い思い出である。
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