1995年初頭、大学の留年が決定した僕は実家にいられなくなり、中野区沼袋で人生初めての一人暮らしをすることになった。
この年は阪神大震災や一連のオウム真理教事件など、世の中は激動していた。
そして僕個人にとっても、日々刻々と目まぐるしく変化がおこる一生忘れることのできない一年だった。
好きでもない女の子にストーカーされたり、逆に大学のサークルの中で一番可愛い娘となぜか付き合うことになったり。
そんなことまだまだ序の口、ほんの序章に過ぎないのである。
予測不能の滅茶苦茶な日々が僕を待っていた。

当時、僕はジャズミュージシャンを志し武者修行の真っ只中。
音楽で演奏することがちゃんとした仕事になりつつあり、毎日が初めての経験の連続だった。
- 怖い先輩ミュージシャンとの共演
- 憧れだったライブハウスへの出演
- メジャーレーベルの立派なスタジオでのレコーディング
- 1ヶ月を超える過酷な国内ツアー
何もかもが新鮮で、それまでの人生の中でもっとも充実していた。
そしてその反面、失敗して落ち込むこともよくあった。
演奏がうまく行かずものすごくダメ出しされたり、音楽と関係ないことで揉めてバンドをクビになったりと、まだ23才の僕には抱えきれない問題が次から次へと押し寄せてきた。
失敗の日々を支えてくれたのが、この街だった。

落ち込んで帰って来て、一人で居酒屋で飲むことを覚えたのもこの時期だ。
その日は終電で沼袋駅に着いたが自分の演奏に納得がいかず、どうしてもそのまま帰る気になれなかった。
楽器を肩に下げしばらく彷徨い歩き、適当に入った焼き鳥屋で熱燗2合と煮込みを注文する。
黙って小一時間程飲んでいたと思う。
不意におばちゃんが「これ焼き過ぎたから、良かったら食べて」と焼き鳥をサービスしてくれた。
本当に焼き過ぎたのかはわからなかったけど、その焼き鳥のほろ苦い味は今でもはっきり覚えている。
以来、僕はその店に足繁く通うことになるのである。
店に行くのは決まって演奏でヘマをしたときだったが、当時は未熟でよくやらかしていた。
一人で飲みたいときはそっとしておいてくれて、たまに思い出したように話しかけてくる。
そんなおばちゃんの気遣いが嬉しかった。
そして、まだ学生で駆け出しのジャズミュージシャンの僕でも通える値段設定は、本当に助かった。
西武新宿線沼袋駅の周辺は、南側は広々とした公園があり、北側は安くて美味い居酒屋が多くある。
休みの日は、当時付き合っていた彼女とよく公園を散歩した。
仕事でやらかした日には一人でおばちゃんの店に行き、焼き鳥を肴に飲む。
そんな日々が一年半続き、僕は単身アメリカへジャズをやりに移住することになった。
やっぱり、ここに帰って来た。
帰国後は都内を転々と2年ごとに引っ越した。
練馬、中野、杉並、国立。
どこも思い入れがあって良い街だが、沼袋の懐かしさと居心地の良さが忘れられずもう一度住んだ。
あのおばちゃんの焼き鳥屋はもうなかったが、20年ぶりに住む沼袋は当時の面影をばっちり残しつつ、飲んべえの聖地として確実に進化していた。
焼き鳥屋だけでも毎日通いたくなる店が3軒もある。
スペシャルな酒を飲むならあの店、煮込みが抜群なのはこっち、焼き鳥を片手に常連のアイツと話たいならあそこ、と言った感じで通い分けるのが楽しい。
尚且、お洒落でヘルシーな女性向きの店もちゃんとあり、南側の平和の森公園はきちんと整備され、ちょっとした都会のオアシスと化していた。
個人的には、沼袋で一日中デートしても全く飽きることはない。
相手がどう思うかは保証できないけど。
最近、沼袋駅前の焼き鳥屋で踏切の音をBGMに飲んでいると、一人暮らしを始めた当時の無茶苦茶な生活を思い出す。
- あの娘は今、どうしているのだろう
- あの当時、箸にも棒にも掛からなかったサックスのアイツは出世して良かったな
- あの時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったドラムのアイツは随分落ちぶれたな
- 何より、大して才能のない自分が音楽の世界でよく生き残ってこれたな…
そんな思いに拭けられるのも、この街ならではなのかも知れない。
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