「うん、東京の会社に就職することにしたよ。」
その言葉に母は、とても寂しそうな顔をしていた。
生まれてから22年ずっと沖縄で過ごしてきた私は、就職活動も沖縄を中心に行っていた。
しかし、ひょんなことから東京のとある通信企業に魅力を感じ、上京を決意した。
反対する家族を説得し、いざ上京

私はまず、母に東京の会社に就職することを話した。
予想はしていたが、大反対された。
すぐに父親にも話が伝わり、それからは毎晩のように私の将来の話をするようになった。
両親の1番の心配は、私がちゃんと炊事洗濯をやっていけるのか、ということだった。
私はその心配を払拭すべく、積極的に家事や洗濯を手伝い、1人でもやっていけるというアピールをした。
そんな私の姿に両親も納得し、私の上京を応援してくれるようになった。
上京間近になると、両親の方が張り切ってたくらいだった。
それからあっという間に1年が経ち、東京へ飛び立つ日が来た。
「じゃあ、行ってくるね。」
母は、まるで私が幼稚園に通ってた頃のように、見えなくなるまで見送ってくれた。
自炊で感じた母のありがたみ

慣れない電車をなんとか乗り継ぎ、ボストンバッグで肩をこすりながら新居へと向かった。
「ちゃんとうまくやっていくからね。」
まだ心配しているであろう両親のことを思いながら、私はぼそっと口にした。
しかし、いざ新生活が始まると、全てが初めてで目まぐるしい毎日だった。
会社では新卒社員研修で社会人の基礎を学びつつ、退勤後は家のことを全て自分でやらないといけない。
自炊をしているときに、母が私にしてくれていたことの感謝が込み上げてきた。
私は1人暮らしをして初めて、母が私の日常生活をどれだけ支えてくれていたかに気づくことができた。
4ヶ月ぶりに帰省

新生活を初めて4ヶ月が過ぎると、初めはあんなに苦戦していた炊事洗濯にもだいぶ慣れ、日々のルーティーンとしてスムーズにこなせるようになっていた。
そんな中、お盆の時期に連休が取れることになったので、沖縄の実家に帰省することにした。
久しぶりに実家に帰ると、「あれ、実家ってこんな匂いだったっけ。」という不思議な感覚になった。
私は両親に、東京で行った場所や作れるようになった料理など、お土産話をたくさんした。
久しぶりに、小学生の頃よく遊んでた地元の公園まで散歩したりもした。
私は今まで気が付かなかった地元の良さを感じることができ、今まで以上に地元のことが好きになった。
東京へ戻ってきて感じた、「この街も誰かの地元」

あっという間に連休が終わり、再び両親に別れを告げ東京に戻ってきた。
やはり戻ってきたばかりのときは、寂しい気持ちが溢れてくる。
この日は休日で時間があったので、気晴らしに東京の街を散歩してみることにした。
沖縄とは違った雰囲気の住宅が立ち並んでおり、眺めるだけで新鮮な気持ちになった。
「地元が恋しいな。」
そんなことを呟いたとき、私はふと思った。
「でもこの街も誰かにとっては、心落ち着く地元なんだよな。」
そう思うことで、慣れない街もなんだか愛らしく感じることができた。
きっとみんな「地元」が好きなのは、そこでいろんな経験をし、たくさんの思い出ができたからだろう。
そして、そこには必ず何かしらの「成長」があったはず。
私もこの街でさらに成長し続けたいと思う。
そうすることで、今はまだ慣れない街でも、いつか私にとっても落ち着く地元になる。
そんな気がしている。
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