新宿駅の一日の乗降者数は、世界一。
ため息や虚栄心が、らんらんと光るネオンに包まれている。
私が東京に住み始めて、一番多く足を運ぶことになった街は、新宿だった。
「何でもある」という優位性と、いろんな街と街を繋ぐ機能性で、圧倒的な強さを持っている街。
それなのに決してきれいな街ではなく、いつも闇めいていた。
街も、私も変化していく

東京に引っ越してきたのは、わけあって大学3年生の春。
大学と家の近くに何もなかったわけではないけれど、レポート課題をやるときや、友人と遊びに行くときは「便利で楽しい」という理由から、だいたい新宿を選んだ。
だから、当時付き合っていた人とのデートも、ほとんどが新宿だった。
ちょっと古い順喫茶も、たばこの煙で曇っているガード下も、全てが美しく思える。
そんな魅力が新宿にはあった。
けれど、その恋があっけなく終わったとき、私にとって新宿は強い悲しみが刻まれた街に変化した。
夢を追いかけても

苦しみを引きずりながらも、私は念願の出版社に就職した。
新宿の街を見下ろせる、夢にあふれた職場。
新宿は、いつか自分を助けてくれる街なのだと信じ込んでいたのかもしれない。
でも、時が経つに連れて激務が増し体調を崩した私は、その夢を自ら捨てることになった。
退職を決めた日の新宿は、がやがやとうるさいのに、とてつもなく寂しい街に見えた。
私は多くのものを得ようとして東京に来たのに、何もかも失っていたのだ。
新宿の巨大な光

ある日、SNSを見ていると、ユニカビジョンで大好きなバンドのライブ映像が流れるというニュースが目に入り込んできた。
新宿駅東口の大ガード近くにある、あの大きなスクリーン。
何かと「新宿」をモチーフにする曲を歌うそのバンドのファンになっていた私は、それを生で見たいと強く思うと同時に、新宿をめいいっぱいに照らすユニカビジョンの光と爆音に包まれ、全ての絶望を払い去りたいと願った。
もちろん、そんなもので全てを無かったことにできるわけではないことは、分かっている。
けれど、いろいろなものを見失ってしまった自分は、一度、新宿の真ん中で、絶望の底をしっかり直視しないといけないような気がした。
自分だけが苦しいのかと思っていた

夜7時。
私はユニカビジョン前に立っていた。
決して治安の良い場所ではないのはわかっていたけれど、今この瞬間だけは、胸に渦巻く悲しみを昇華させる方が大事だった。
「今を抜ければ…」
そんなことばかり考えていた。
しかし周りを見渡すと、同じように上を見上げてユニカビジョンの光を浴びている人たちがいた。
みんなが、ぽっかりと空いた心を埋めているような表情をしている。
自分一人だけが苦しいと思っていた。
けれども、乗降者数世界一位のこの街においては、自分が経験した苦しみなど既に経験され尽くされている。
私だけが苦しいわけではない。
そんな当然の事実が、新宿にいるとなぜだか身に迫ってきた。
ここにいる多くの人が、自分と似たような苦しみを背負って生きている。
でも、この苦しみは、私にしか経験できなかった大事なものでもある。
そんなことを知れた私は、泣いてきた自分を少し肯定したくなった。
ユニカビジョンのキラキラした光を見るたびに、あの時に立ち返り、前進することができる。
新宿にも少し「救い」はあった。
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