私の出身は、北関東の超田舎だ。
通っていた小学校は全校児童50人いなかったし、コンビニには車でなければ行けない。
毎年春になると熊の目撃情報の回覧板がまわってくる…そんな場所。
日々刺激は少なく、物心ついた頃からもう田舎暮らしには飽き飽きしていた。
大人になったら絶対に東京へ行く!と上京を夢見て暮らしてきた。
都会で暮らせば都会的な人と関わって、都会的なおしゃれをして、都会的な仕事をして、都会的な恋愛をして…!
もう死にたいくらいに憧れた。
将来なりたいものは特になかったけど、とにかく東京で一人暮らしが私の夢。
高校を卒業したらお金を貯めて東京に住む。
私は全くブレずにその気持ちを育てていった。
北関東出身者の避けて通れない、あの場所へ住む!!

高校を卒業しお金を少しだけ貯めた私は、すぐさま東京へ向かう。
狭い東京といえど、住む所はたくさんある。
私が選んだのは、豊島区池袋。
北関東出身の人なら知っていると思うが、我々はJR池袋駅を避けては東京へ踏み入ることができない。(と言いきるのは乱暴だが、当てはまる人が大勢いる)
湘南新宿ラインで埼玉を抜けると、待ち構えてくれている池袋。
電車から見える景色は、池袋に着くちょっと手前から東京感がすごい。
高い建物、きらびやかなネオン、田舎では見ることのできないサイズの看板…
私は私の夢を叶えてあげるために、このザ・東京、池袋に住むことに決めた。
池袋って本当に何でもある。
デパートでデパコス買うにも困らないし、PARCOで雑誌にのってる服は買えるし、テレビでやっているスイーツのお店もあるし、友達と遊ぶ飲み屋もカラオケも無数に並んでいる。
何より山手線が通ってるから交通の便は最高の最高。
ここが都会というものだ。
アメリカでいうニューヨークだ。
そう信じてやまない私は、池袋に住むことを最高に幸せだと思った。
東京の奥深さを知る

都会をもっと満喫するために、私はアパレル会社に入社した。
配属されたのは代官山の路面店舗だった。
代官山…雑誌やテレビで見たことはあるけれど、行ったことがないのでどんな場所なのか全然わからない。
おしゃれな街ということだけはわかるけど、どうおしゃれなのか知識がないまま出勤することとなった。
まずは出勤初日、新ブランドのレセプションパーティーのスタッフになることを伝えられた。
レセプションパーティー…?
その時スマホがあれば速攻でレセプションパーティーを検索するのに、まだその時はガラケーの時代だった。
当日行ってみると、スタッフ用のTシャツを来て、クライアントさんやわが社の社長がお世話になっている方々をおもてなしする業務だと伝えられる。
招待客の中には芸能人、モデル、ワイドショーで見たことあるIT社長もいた。
私はただ圧倒されて、ちゃんと仕事ができていたか定かではない。
ただ、気後れするほど眩しく、華やかな一日だったのは覚えている。
次の日からは通常営業で、私はアパレル販売員としての仕事が始まった。
地味な仕事もたくさんあったが、洋服自体はもちろん、お店の佇まいも超絶おしゃれだった。
お客さんは私より数段洗練されてたし、芸能人が犬を連れて服を買いに来ていたし、お会計ではブラックカードを出す人が何人もいた。
そんなキラキラな世界に、毎日身を置いていた。
信じたくないけど、池袋ってもしかして…?

代官山で働いて半年くらいすると、うすうす気づいていたことを確信しはじめる。
職場からの帰り道、思う。
もしかして、池袋って田舎くさい…?
道行く人はどこか野暮ったいし、なんなら私の地元のイオンにいる人たちの方がおしゃれだ。
代官山で颯爽と歩いている人たちとは何か違う。
日本のニューヨークなのに何故?
答えは考えるまでもない。
そう、池袋は私のような北関東出身者の巣窟なのだ。
- 田舎から出てきて、池袋で豪遊する。
- 田舎から出てきて、池袋の学校や仕事へ行く。
- 田舎から出てきて、池袋で暮らす。
池袋の万能さが、田舎者をここへ引き留めている。
池袋にいる人たちは皆、私と同じ都会に憧れている人々である。
ここはニューヨークなんかではなく、紛れもなく北関東だった。
この気づきは私の大切なステップ

池袋が最先端の街ではないことがわかり、最初こそ赤っ恥をかかされたような気分だったが、池袋を嫌いにはなれなかった。
何より「池袋ってさ、田舎者の集まりだよね」と語れることがまず、私を都会の人間にした。
そこに気づけたのは池袋を肌で感じたからである。
アド街ではわからないリアルを語れる。
池袋に住んでいる私が語るのだから、誰も文句ないだろう。
池袋に居住を構えなかったら、私は一生池袋に憧れ続け、池袋に縛られてしまっていたかもしれない。
この街は私をレベルアップさせてくれたのだ。
相変わらず池袋の利便性は半端ではないし、たくさんの用をこなすなら代官山より絶対池袋だ。
通行人は気取りすぎてないから、自分が気の抜けた格好でも萎縮する必要はない。
住んでいる人は地方出身者が多いから、変な地元ルールもない。
なんとなく1人の食事が寂しいときは、フラッと立ち寄れる行きやすいバーもある。
終電を気にする必要もなく、ゆっくり呑める。
日々の暮らしに疲れたら、乗り換え1回で実家へ帰れる。
そして家族に会い英気を養ったら、また乗り換え1回で池袋に帰ってくる。
なんて暮らしやすい…
なんて生きやすい街なんだろうか。
肩肘をはらず、行きたい場所にはすぐ行けるし、欲しいものはすぐに手に入る。
数年後池袋から離れ、いわゆるおしゃれな土地にも暮らしたことはある。
だけど、電車から池袋の景色が見えるとワクワクする気持ちは今でも変わらない。
私の夢を叶えてくれた池袋がこれからもずっと大好きだ。
ここからは余談だが。
東北出身の夫と結婚したら
「池袋に出ずとも、新幹線の止まる大宮が最強説」
が浮上してきたが、その説はまた今度にしようと思う。
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