私は江戸川区で一人暮らしをしている。
最寄りの一之江駅のすぐ近くには、区民農園があって、出勤する時間には畑を借りている人たちが、水やりをしたり、土いじりをしているのを見かける。
町には小松菜や季節の野菜を売る自販機があり、大きなお屋敷の玄関前では、値段シール付きの自家製野菜が無造作に置かれ、お金を入れる箱がポツンとある。
上京するまで住んでいた長野には、軒先で野菜を売る家がちらほらあったけれど、東京にもこんな光景があることに驚いた。
畑だけではなく、沿道にはきれいに整備された親水公園があり、夏休みには子どもたちが水遊びをしている。
畑があるからなのか、緑があるからなのか。
いや、それだけでなく、江戸川区という町は、妙にのんびりしているような。
とにかく、私のイメージしていた〝東京〟とは、ずいぶんと違っていた。
ここは「住むための町」

住んでみて感じる印象として、ここは「住むための町」だなと思う。
このへんは、おしゃれなカフェや、大きい商業施設はなく、飲食チェーン店もあまりない。
家の周りは家だ。
高層マンションもあまりなく、大体が2~3階建ての家で、高さもそろっている。
ベランダに出て景色を見ようとしても、家と道路ばかり。
けれどベッドタウンとは少し違う。
下町風情もあり、閑静じゃない。
古くて小さな家からは、人の声がよく聞こえる。
朝には、どこからともなく年配の方々が道に出てきて小学生を見送り、昼過ぎには保育園のお迎えに行ったお母さんが子供を連れて井戸端会議。
夕方にはまた、どこからともなく「おかえり」の声が聞こえ、カウンターだけの居酒屋さんに暖簾がかかる。
道を歩いているだけなのに、「おはよう」や「おかえり」の声をかけていただくのは、一人暮らしの私にはくすぐったくて、いまだ慣れずにいる。
私が驚いたエピソード

引っ越してきて数か月が経ったある日、こんなことがあった。
近所のスーパーの駐輪場でなにやら自転車を出庫できないまま、ガシャンガシャンと自転車を揺らしたり、持ち上げたりしている小学生がいた。
その駐輪場は、2時間以内は無料なのだが、制限時間が過ぎてしまうと料金がかかってしまうという仕組みのようだ。
私も、その子が困っていることは容易に察知できたのだが、なんとなく声をかけることができなかった。
でもやはり心配なので、何度か彼の前を行ったり来たりして様子を見ていたら、オフィスカジュアル風の服装に身を包んだ女性が、「大丈夫?」と声をかけたのである。
また違うご年配のご婦人も「大丈夫かい?」と声をかける。
買い物袋を持ったおじいさんは、その少年にいましがた買ってきたであろうジュースを渡す。
いつのまにか、その少年の周りには5~6人の人が集まっていた。
おそらくだが、その子はお財布をもってくるのを忘れてしまい、自転車が出せなくなったようだった。
そのスーパーと同じ建物には塾があるので、そこの生徒なのかもしれない。
各々で少し話をしたのち、最初に声をかけた女性がお財布を取り出し、ニコッと微笑みながら、その子に小銭を渡した。
少年は「ありがとうございます」と恥ずかしそうに頭を下げ、無事自転車を取り出し、颯爽と帰っていく。
少年が帰ると、集まった人たちも散り散りに帰っていった。
イメージとは違った東京

このとき私は、とても驚いていた。
東京というのはやっぱり、冷たい街だと思っていたし、まだまだイメージが先行した状態で、町を知らずに暮らしていたのだと思う。
東京といえど、都心のように高層ビルやタワーマンションだらけの場所もあれば、この町のように、大きくない戸建てがたくさん建ち並ぶ町もある。
その町によって色は違うはずなのに、私は「コンクリートジャングル」という東京のイメージのままでいたのだ。
だから、こんな出来事に出くわすなんて、夢にも思わなかった。
もしかすると、たまたま親切な人たちがその場に集まっていただけなのかもしれない。
けれど、私はこの町の雰囲気が人を柔らかくつなげているように思えて仕方なかった。
よく見てみると、町ではいろんな人の楽しそうな声が聞こえる。
漠然とした怖さを持っている時には見えなかったものや、聞こえなかった音がそこにはあった。
記憶に残る町

この出来事を境に、私は自分が住む町に対して、好感が持てるようになっていった。
都会でもなく田舎でもない。
家ばかりで、人ばかり。
私が思っていたのとは、まるで違った、暮らしのある「東京」。
朝の知らない人からの挨拶、カウンターに座るとやさしく声をかけてくれる居酒屋さん。
まだ会ったことのない野菜無人販売のお屋敷の住人。
まだまだ新参者な私を、今日も温かく迎え入れてくれるこの町。
この先いつまで住めるかわからないけれど、それでもこの町のことをきっと、ずっと忘れない。
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