青山の大坊珈琲店で珈琲と抽象画に救われた話

東京に行きつけの喫茶店はありますか?

仕事終わりや休日に好きな街に出かけて時間を気にせず喫茶店でまったり。

一人暮らしだからこそできる最高の贅沢です。

オアシスとしての喫茶店

東京には人の数と同じように星の数ほどの喫茶店がありますが、そんな数ある喫茶店で行きつけがあると少し誇らしくないですか?

なんとなく街に馴染んだ気がするというか。

都会での生活に潤いをもたらしてくれるところ。

それが東京の喫茶店です。

青山の異空間、大坊珈琲店

表参道交差点のすぐ近くによく通わせて頂いた喫茶店がありました。

「大坊珈琲店」というお店です。

初めて訪れた際の衝撃は今でも忘れられません。

珈琲はネルドリップで丁寧に抽出されるのですが、店主のその姿が神々しかった。

湯を細くして一滴ずつタチタチタチと粉に馴染ませて抽出される珈琲。

芸術品だと思って頂いていました。

飲んでいる最中に七色に味が変わり様々な豆の個性が次々と花を開きます。

管弦楽の四重奏を聞いているような雰囲気の味とも言えるかもしれません。

残念ながらビルの老朽化で今はもう閉店してしまいました。

なので、この記事を書いてます。

大坊珈琲店は普通の喫茶店ではありませんでした。

細い階段を登って扉を開けるとそこだけ異空間が広がっています。

お店の中だけ時間がゆっくりと流れているのです。

「大坊珈琲の時間」としかいいようがない独特の時間が流れています。

青山の喧騒の中にあってそこだけゆっくりポッカリと平穏な空間がある。

僕はその空間に吸い寄せられるように何度も何度も通わせて頂きました。

世界で最も悲しい青

空間の性質を決定してしまう絵というものがあります。

大坊珈琲店の店内には一枚の抽象画が掛けられていました。

絵の作者は平野遼。

北九州出身で、路上の絵描きから始まって独自の画風を確立した画家です。

初めて拝見した際は「なんて悲しい絵なんだ」と茫然としてしまいました。

その絵は掛けられているというより、捧げられているという雰囲気です。

この絵の場所はここしかない。

まるで平野が作品の場所を選んでいるようでした。

その抽象画は特別に目立って注目を集めるというわけでもなく。

全く気を引かないこともないという調子で店に存在していました。

お店の主役であるお客さんと珈琲を引き立たせる絵。

私は大坊珈琲に慎ましくも力強く存在する平野の抽象画が大好きでした。

その絵は青山という街に昔からある大坊珈琲を象徴しているようでした。

常連だった向田邦子さん、永六輔さん、村上春樹さん、小沢征爾さんも。

平野の絵をご覧になったでしょう。

ずっと残り続けてきた絵。

愛され続けた珈琲。

残り続けて来た店。

そこにいる私。

ありのままで

その日はいつもと何かが違っていました。

大坊さんの珈琲を頂いていると、妙に平野の絵が気になります。

不思議なことに絵が「もっと近くでよく見て下さい」と語り掛けて来たのです。

絵から一番近い席に座らせて頂いて、4番のデミタス珈琲を頂く。

すると珈琲を飲むたびにポツリポツリと涙が頬を伝っていきます。

なぜ泣いている?

何が泣いている?

閉店が悲しかったこともあるでしょう。

このお店であった数々の思い出が蘇ってきます。

しかしそれとは別に。

どうも私は気づかないうちに何かに深く傷ついていたらしいのです。

東京での生活にと言って良いと思います。

演じることに疲れていました。

そんな時、大坊さんの珈琲と平野の絵がこう囁いてくれたのです。

「ありのままのでいいよ」

とても救われました。

終わらない大坊珈琲の時間

閉店してもなお「大坊珈琲の時間」は続いています。

ありのままになれる場所。

ありのままになれる時間。

それをたまたま居合わせた誰かと共有できること。

それが東京での一人暮らしにとってどれだけありがたかったことか。

今も大坊珈琲店を思い出したい時は青山へ。

あなたの行きつけもきっとすぐ側にあるはずです。

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